伏見稲荷大社   朱色の楼門を見上げて 秀吉の願いをかなえたお稲荷さん

 

秀吉によって寄進された高さ15mの巨大な楼門

お稲荷さんの愛称で知られる伏見稲荷大社は、全国稲荷神社の総本山です。創建は和銅4(711)年、稲荷山に三つの柱を祀ったことにはじまります。

お稲荷さんといえばやはり有名な千本鳥居ですが、まず目に入ってくるのはこの巨大な楼門ではないでしょうか。
手水舎で身を清めた後、楼門の前に立つと、門の両側に建つキツネ像が目に見えますが、向かって右側のキツネは「玉」をくわえ、左側は「鍵」をくわえています。
お稲荷さんはその名が示すように【稲】との関わりが深く、「玉」は祭神ウカノミタマの魂、すなわち稲の霊です。そして「鍵」は稲を貯蔵する蔵の鍵を表しています。

日本の神社はもとより巨木の繁る森に囲まれた場所にあり、それと共に必ず神の使いと称する動物がいます。それが眷属(けんぞく)です。
稲荷大明神の眷属である白狐は、山から降りてきて野ネズミや雀から稲を守ります。キツネ像は稲作の豊穣を祈っているのですね。

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この楼門は以前の門が応仁の乱(1467〜1478年)によって焼失され、その約100年後に豊臣秀吉によって新たに寄進されたものです。

この楼門が建てられる前に、秀吉の母である大政所がかなり危険な状態で病の床に伏していました。母の病気平癒を願った秀吉は、稲荷大社に願文(がんもん)を送ります。
{ 願文とは、神仏に願いを立てる時その趣旨を記した文のことです。}

人にとって母親を亡くすほどつらい事は他にありません。秀吉の心配は、はかりしれなかったことでしょう。
その後、奇跡的に母の体調は徐々に回復しはじめました。
秀吉の安堵と喜びは相当なもので、稲荷の神に感謝の意を表してこの楼門を寄進したのです。その時秀吉が送った願文は、現在もこの稲荷大社に保存されています。

 

稲荷大社と東寺の深いつながり

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平安時代はじめ真言密教の根本道場である東寺の造営にあたっては、稲荷山から材木が伐り出されました。そのつながりから、稲荷祭は東寺と共に盛大に行われました。そして、天慶5(942)年に稲荷社は正一位の神階を授与します。稲荷の神は国家鎮護の神となり、真言密教の本山・東寺と深いつながりを持ったのです。

また、明治になって廃仏毀釈神仏分離の政策がとられるまでは、稲荷社に向かって左に稲荷社の本願所、御本山・愛染寺という寺がありました。
この愛染寺は真言密教の寺であり、京都庶民の厚い信仰と親しみを集めていました。