東福寺  木立の中に浮かぶ通天橋(つうてんきょう)

 

紅葉のピークの頃にはひと月で50万人が東福寺を訪れます

東福寺といえば、やはり「通天もみじ」と呼ばれる赤い楓が通天橋を包み込む風景が有名です。紅葉の季節には、観光客の方々で埋め尽くされます。
中門から徒歩で10分位の距離でしょうか、九条通り「東福寺」の交差点が、すでに人で溢れ交通規制が行われています。

それでも、通天橋からの景色を、晩秋の頃に一度は見ておきたいものです。
そして、紅葉だけではなく夏木立の景色もかなり見ごたえがあります。
あたり一面にキラキラと緑が生い茂り、心地よい風が吹いてサヤサヤと木々の梢を鳴らしています。

通天橋は法堂から開山堂へと続く渡り廊下で、その下は洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる渓谷が広がっています。
橋の中央に切妻屋根の張り出した場所がありますが、ここに立つと、まるで木立の中に浮かんでいるような感じです。  

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この橋は天授6(1380)年に、相国寺第二世の住持である、春屋妙葩(しゅんおくみょうは)が、架けたものです。
この橋がなかった頃、僧たちは法堂から開山堂へ行くために、一度下に降りて谷を渡っていました。
僧たちを、その苦労から開放しようと架けられたのです。現在の通天橋は、昭和34年の台風で倒壊した2年後に再建されたものです。

 

九条道家鎌倉幕府 

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東福寺は、摂政・関白の九条道家によって嘉禎2(1236)年に建立を発願され、建長7(1255)年に諸堂が整い落慶供養が行われました。
藤原氏菩提寺だった法性寺を前身とします。
道家の三男の頼経(よりつね)は、鎌倉幕府四代将軍です。
ですが、実際に権力を持ち頼経を担いでいたのは、執権・北条泰時でした。

道家が、天台密教の寺である法性寺を禅寺の東福寺にしようとしたのは、鎌倉幕府に対する政治的配慮があったといわれています。
鎌倉武士は、生死を越えた「無」の悟りを重視する禅仏教こそが、自分たちにふさわしい仏教であると考えていました。
ですが、旧勢力からの反発は十分予想できますので、表向きは禅仏教だけではなく、天台・真言と禅を学ばせる本山として東福寺を建てました。

道家は、建長4年に死去していますので、四男の一条実経(さねつね)が、遺志を継いで3年後に東福寺落慶供養を行いました。
道家の死後、九条家は長男の教実(のりざね)、次男の良実(よしざね)、四男の実経が、九条、二条、一条と分かれ、近衛家もまた近衛、鷹司と分かれます。いわゆる五摂家の誕生です。