南禅寺  三門で風に吹かれて

京都でいつでも登ることの出来る唯一の三門

緑に包まれた参道から中門をくぐると、おだやかな登り坂が続いていて、すこし視線を左に向けてみると、禅宗寺院独特の大きな迫力のある三門が見えます。

三門を正面から離れた距離で見ると、開放感のある敷地が遠く広がっています。

そして、三門の楼上に登って優しい風に吹かれていると、日常のことなんかどこかに忘れさせてくれる風景に、心が洗われるようです。

南禅寺の三門は、普段から公開している唯一の楼上です。

知恩院、東福寺の三門や東本願寺の御影堂門なども、迫力ある素晴らしい三門ですが、特別公開のときにしか登ることが出来ないのです。

西国の拠点をさがしていた徳川家康や側近たちによって南禅寺は再興されました。

いわゆる、徳川三代の頃の歴史が好きな人にとっては、非常に魅力的な場所ではないでしょうか。

 

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天下の大泥棒 石川五右衛門

歌舞伎の「楼門五三桐」に登場する大泥棒石川五右衛門は、この三門に登って「絶景かな、絶景かな」と京の街を見下ろします。

でも、これは創作であって三門が出来たのは五右衛門の死後のことです。

ただ、江戸時代に大きな権力を持った南禅寺に対して、天下の大悪党が登場するという設定こそ、当時の人々にとっては痛快な気持ちが胸に拡がるストーリーなのでしょう。

家康を取り巻くしたたかな者たち

この三門は、家康に認めらて有力大名にのしあがった藤堂高虎によって建て替えられたものです。

大坂冬の陣・夏の陣で犠牲になった兵士を弔うために、高虎が家康に申し出ました。

その大阪冬の陣・夏の陣を発案したのは、家康のブレーンといわれた南禅寺の住持、以心崇伝です。

そして、崇伝が住房とした塔頭の金地院、その千五百坪の庭園は、造園の巨匠と仰がれた小堀遠州によって作られました。遠州は高虎の娘婿です。

そして、南禅寺北の坊といわれる光雲寺は、寛文4(1664)年に後水尾天皇中宮東福門院(家康の孫女・和子)が建てた寺です。

そのため、光雲寺には後水尾天皇や東福門院の貴重な遺品が数多く伝えられています。