文を書くときに意識したいのが、やはり、その文構造の「区切り」です。
複文の構成は主に3つからなっていて、連用修飾、連体修飾、引用節といったところがよく使われます。
連体修飾節ならその先に主名詞の存在があり、連用修飾節なら用言述語が途中で待ち構えているのですが、そこをひとつの「区切り」と強く意識下において書けば、最終的な主節の述語にリズミカルに繋げていけるのではないでしょうか。
僕たちは一時間ばかりバックギャモンをしてからゴルフ場の金網を乗り越え、誰も居なくなった夕暮れのゴルフ・コースを歩いた。
(村上春樹「1973年のピンボール」)主節の述語:歩いた
連用修飾述語:してから 乗り越え
連体修飾主名詞:ゴルフ・コース
これは、読点「、」を目指すと言うことではなく、従属節の述語を目指して書いていくと考えた方がわかりやすいかもしれません。
それが、結果的にその区切る場所と読点「、」が重なることもあるということです。
なぜなら、長い修飾節から短い修飾節へと続けていく場合はそこに読点は必要なくなり、そのほうが文はすらすらと流れていくからなんです。

そして文から文へと文章は続いていくわけで、文の区切りのタイミングがある程度つかめたら、今度は主節の述語の最終的表現を工夫したいものです。
そこで表現される文法カテゴリーは、ボイス、アスペクト、テンス、そしてモダリティと多く、書き手はその文末表現を意思決定します。
その最後の表現は文を締めくくるためだけに存在するのではなく、続く文脈、つまり文章全体の構成に大きく影響していくことになります。
たとえば「テンス(時制)」なら、現在形の「る」が使われた文を、過去形「た」で示された文で包み込むように構成して表現します。
「た」の文に囲われた「る」の文は、読み手の視点のなかでズームアップされることになり、そこに一つの段落世界が生まれるんですね。
「アスペクト(局面)」も同じ構造で、進行形「ていく」「ている」で文を進めていき、完了形「た」で文脈にブレーキをかけると、そこまでの内容をひとまとめにした効果的な表現ができることになります。
過去形が現在形を包む、完了形が進行形を包み込むという文の構造。
この二重構造という仕組みこそが文章構成におけるもっとも核心的な部分になります。
この二重構造をもっともわかりやすく捉えることができるのが「です」「ます」調における丁寧語の文末表現です。
動詞述語文は文末が必ず「ます」でしめられ、形容詞・名詞述語文は必ず文末が「です」でしめられ閉じられます。この表現区分に例外はありません。
そして、動詞述語文は「が」格を伴う描写的な客観的・具体的表現に用いられ、形容詞・名詞述語文は説明的で抽象的な書き手の判断が反映された表現に用いられる傾向にあります。
「こと」「もの」「の(だ)」「とき」といった形式名詞を使った名詞述語文が日本語の表現によく見られるのも、動詞をそのまま描写的に表現するのではなく、形式名詞を使って名詞述語文に変換させることで、どこか解説的な叙述を持って自己の責任のもとに表現しようと、書き手が無意識にその文型を選択することが多いからなんです。
僕はミルドレッド・ベイリーの「イッツ・ソー・ピースフル・イン・ザ・カントリー」を口笛で二回吹いた。いい曲ね、と二人は賞めてくれた。でも、ロスト・ボールはひとつもみつからなかった。そんな日もある。
きっと東京中のシングルプレイヤーが集ったのだろう。それともゴルフ場がロスト・ボール捜し専門のビーグル犬でも飼い始めたのかもかもしれない。僕たちは力を落として部屋に戻った。 (1973年のピンボール)のだろう:「のでしょう」名詞述語
のかもしれない:「のかもしれないです」形容詞述語
形式名詞「の」が使われた、それぞれ名詞・形容詞述語文は解説的に仮定の心理描写で書かれていて、その他の動詞述語文は対比するように状況描写で語られているのがわかります。
文章展開における文の二重構造。それは、まるで呼吸するかのように、無意識的に「問い」と「答」で示されているのです。